高度生殖医療と産科分野で、女性の体への負担を最小限に「全世代の女性を幸せにする病院」を目指しています。

日本最初の
生殖医療専門病院

お電話でのお問い合わせ 0223-23-3111

仙台市から車で約40分

宮城県岩沼市里の杜3丁目5-5

創設者鈴木雅洲の追想(追悼)

東北大学医学部産婦人科教授時代の昭和58年に、外国でも希にしか生まれなかった体外受精による妊娠出生に、我が国で初めて成功いたしました。

東北大退官後の昭和61年7月14日には、民間病院としての特性を生かし自由な発想のもと医療技術の開発・研究に取り組むため、日本初の体外受精の高度不妊治療専門の医療施設として、「スズキ病院」を岩沼市に開設。体外受精を応用してより難治な不妊症の治療法開発に従事。

平成4年4月には日本初の顕微授精胚の妊娠出生に成功、さらに平成13年4月には、日本初の成熟卵子の凍結解凍後の受精・妊娠・分娩に成功し、その普及に貢献しました。

平成23年3月には日本助産師学会より「村松賞」、同年11月には岩沼市より「生涯現役市民賞」を受賞。さらに、平成27年6月には日本学士院より「日本学士院賞」を受賞しました。平成27年8月に岩沼市長特別功労賞を受賞しました。

日本学士院賞について

日本学士院は、文部科学省に設置された学術上功績顕著な科学者を優遇するための機関で、学士院による賞は、日本の学術賞として最も権威ある賞です。
対象となった研究題目は、「ヒト体外受精・胚移植の確立と普及に関する研究」です。

体外受精・胚移植(体外受精)は、現在の不妊治療にとっては不可欠な治療法になっています。
本邦初の体外受精の成功は、1983年に当時、東北大学産科学婦人科学教室主任教授だった鈴木雅洲から報告されました。
1980年代の日本国内においては体外受精の実施についての賛否両論が渦巻いており、一部の医療機関でしか体外受精は実施されていませんでしたが、鈴木は体外受精の技術水準の向上と普及を目的として、ワークショップを企画・運営しました。

日本最初の体外受精児出生に成功してから30年が経過し、体外受精等の治療により生まれた児は、日本国内において43万人を超え、全出生児数の21名に1名が体外受精等によって生まれています(2014年)。当時、「試験管ベビー」と呼ばれ、特別視された体外受精児も、日本の小学校の1クラスに一人の割合で誕生する時代になり、体外受精は社会に受け入れられたと言えます。

体外受精の治療を確立させ、更に普及させたことは、不妊夫婦の挙児希望を可能にさせたことに留まらず、将来の日本における人口減少を解決する方策の一つとして大きく貢献していると言っても過言ではありません。

ページトップへ戻る